マティス展

先日、上野の国立西洋美術館で開催されているマティス展を見に行きました。ちなみに私はアンリ・マティス(Henri Matisse)という画家について、聞いたことはあるけど作品が思い浮かばない、という無教養な人間だったりします。どんな作品かはWEBなどで見ていただければ分かるとは思いますが、とても色鮮やかで抽象的な、ピカソを思わせるような画風のように感じました。
それはさておき、この展覧会では、画家が絵を創作する過程について、「プロセス」と「バリエーション」の視点から作品が展示してありました。これがとても分かりやすくて刺激的でした。マティス自身も、画家が絵を描く過程に関心を持っていたようで、製作途上の写真を時系列に写真で撮影したり、同じモチーフでいくつもの作品を描いているそうです。
それらの展示を通じて分かったことは、画家は最初から完成図を頭に描いて、あのような意味不明な抽象的な作品を描いているのではなく、最初は写実的なデッサンをいくつも描き、やがてキャンバスに描き始めてからも、描かれる対象との対話の中で、時間と共に画家の中でも何を描きたいのかが変化してくるということでした。
もちろん絵画に造詣の深い人なら、そんなことは当たり前で、完成された作品を見ることで、製作過程における画家の苦労も読み取れるのかもしれません。しかし、これまでに遠足で風景画を数枚しか書いたことのない私には、キュビズムの絵を見ても「このひと本当は絵が下手なんじゃないの?」としか思えなかったりします。実際にマティスの「ルーマニアのブラウス」は一見簡単に描かれているように見えて、うちの子供でも書けるんじゃないかと思ってしまうほどです。
製作過程で移り変わる作品を眺めていて気づいたことがあります。一つは、この作業は美術のみではなく、日常的に私がメールを書いたり、実験をする作業でも行われているということです。
私はメールを書くときは、まずだらだらと長文を書いた後に、余計な文章を削ったり、誤解を招く表現を直したりして、何度も何度も書き直します。自分の意見を述べるときには、特に気を使い、感情的な表現は可能な限り避けるようにしています。最後には自分の意見に自信がなくなって、全部削除してしまうこともあります。例えば、メールが送られてきたときに、そのメールが最終形になるまでの変化の過程を見ることができたら、より多くのことが伝わるのではないでしょうか。例えば小説が出版ではなくネットで公開されるようになったら、完成形までの試行錯誤の創作過程を読者が見ることができるような実験的なサイトができると面白いと思います。
科学の世界においても、世紀の大発見の論文と言うのは、A4で収まる程度の、figureが1枚ぐらいの論文だったりします。でもその裏ではいくつもの試行錯誤が重ねられていて、仮説に対するひとつひとつの検証作業こそがドラマチックでスリリングなのではないでしょうか。研究者のブログでは時々、その過程が垣間見えるところが面白いと思います。もちろん論文が出るまでは、伏字だらけの日記にならざるを得ませんが・・・)。例えば今回の地震でも「つくばの日々」では、記者会見の裏で、その調査の過程がレポートされていたりします。
また、もうひとつ気づいたことがあります。それは、ブログ(というか日記)という表現手段では、その日その日の記事が完成品でなくてもいい、ということです。マティスも自分の娘を描いていくなかで、柔らかなやさしそうな女性として描いたり、眼光鋭く暗い表情の女性として描いたりして、対象に多面的に近づこうとしています。私のブログでも、あるテーマに対して、間違っていたり勉強不足だったりすることを恐れずに、その時点での捉え方や考え方をそのまま書いていって、移り変わる様子を記録するのも良いのではないのかなと思いました。しかもブログなら、読んだ人からのコメントによる影響も記録できるのです。
ちなみに今回の展覧会では、マティスの晩年の切り絵作品「ポリネシア」がひと目で大好きになりました。衝動的に、どでかいポスターを買ったのですが、貼る場所がなくて困っています。