昨日の敵は明日の友

少し前のNatureの論文ですが。

VEGF delivery with retrogradely transported lentivector prolongs survival in a mouse ALS model
Nature. 429:413-417, 27 May 2004 [PubMed]

筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis)は運動神経が障害されて筋肉が萎縮していく進行性の神経難病です。メジャーリーグのニューヨークヤンキースルー・ゲーリックやイギリスの宇宙物理学者ホーキング博士が罹患したことで知られています。(ホーキング博士は、病気の進行が非常に緩やかである点でめずらしいケースなのだそうです)。
論文は、家族性筋萎縮性側索硬化症(ALS)で見つかった変異型SOD1のトランスジェニックマウスに対して、VEGFを発現するレンチウィルスを投与することで治療効果が見られた、という内容です。
この論文で使われているレンチウィルスベクターは、EIAV (rabies-G pseudotyped equine infectious anaemia virus)で、つまり「エンベロープ糖タンパクを狂犬病ウィルスに擬態したウマ感染性貧血ウィルス」です。
遺伝子治療ベクターとして、現在もっともよく用いられているレトロウイルスベクターは導入効率が良く、かつ標的細胞のゲノムに遺伝子を組み込むことができるのですが、神経細胞や造血幹細胞などの非分裂細胞には導入できないという欠点を持っています。一方、HIV-1(エイズウィルス)をはじめとするレンチウイルスベクターはレトロウイルスの特長をもち、かつ非分裂細胞にも導入できるため非分裂細胞を標的とした遺伝子治療に有望視されています。
また、通常のレンチウィルスは末梢から投与しても、中枢神経系に逆行輸送されません。中枢神経系へ逆行輸送されるウィルスとしてはポリオウィルス、ヘルペスウィルス、狂犬病ウィルスなどが知られています。そこで、研究グループはエンベロープ狂犬病ウィルスの糖タンパクに擬態させたレンチウィルスを作ることにより、逆行輸送できるレンチウィルスを作製しました。
実際の効果としては、下肢や顔面の筋肉への注射により運動神経へ感染することが確認され、変異型SOD1蓄積による神経細胞死に対して抑制効果が認められています。一方、VEGF発現による脳内での血管系障害や血管新生などの副作用は見られなかったとしています。(なぜVEGF発現でこれらの症状が見られないのかがちょっと不思議。ただし、注射した下肢筋や顔面筋のデータは無し。)
このようなウィルスベクターによって末梢(筋肉)への投与による中枢神経系への遺伝子治療が可能となることが期待されています。実は、この研究グループは、Oxford Biomedicaという企業で、レンチウィルスベクターによる遺伝子治療研究を行っています。現在は、抗がん剤がPhase 2に入っており、最近はパーキンソン病やALSのような神経変性疾患についても研究成果を発表しています。
狂犬病に擬態したエイズウィルス(の仲間)」なんて聞いただけで怖い気がしますが、本来は恐ろしい病気であるはずのエイズウィルスや狂犬病ウィルスも、科学者の目から見れば興味深いメカニズムを持つ研究対象であり、研究を進めることで逆に難病への治療法につなげることだって出来るのですね。

日本ALS協会
http://www.jade.dti.ne.jp/~jalsa/
Oxford Biomedica
http://www.oxfordbiomedica.co.uk/