動物の交通事故

母ガモが事故死、残された子ガモ身を寄せ合う 東京都庁朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0613/016.html

ニュースについて感傷的なことを述べる気はないのですが、徒然、考えていることについて。
私は自動車通勤をしているのですが、走っている距離が長く、道路も田舎なので、毎日どこかで動物の事故死体を見かけます。多くは野犬だと思うのですが、狸もいるのでしょう。見かけるたびに憂鬱になります。幸い、私はまだ轢いたことはないのですが、先日も深夜、狸が横切って急ブレーキを踏んでしまいました。セオリーとしては急ブレーキは危険なのでアクセルを踏んで轢いてしまった方がいいのかもしれませんが、反射的に回避しようとしてしまいます。
動物の交通事故は、車の方にダメージが無い限り「事故」でもないのでしょう。でもそれでいいのかな、と考えてしまいます。動物は轢かれてもしょうがない、というのはあんまりです。でも、そう言う自分が道路を自動車で走っているのだから、責任は自らにあるのでしょう。

[追記]
「野生動物の交通事故」を問題視して行動している方々も多いようです。こちらの方は、轢かれた死体を保健所に運ばれているようです。うーん、私の場合、毎日することになりますので、ちょっとできません。また、こちらによると、死亡事故はタヌキが多いようです。夜行性の動物はヘッドライトを見てしまうと動けなくなってしまうようです。エコロードという取り組みもあるようです。

また、私は動物実験で毎週P7のラットを10匹解剖しています。「この研究は、将来の医療のために必要であり、最低限の匹数だし、麻酔もかけて苦痛も軽減している。」という言い訳は空々しいこと、このうえありません。まるっきり、自分個人のエゴで殺しているんだ、と自覚することにしています。でも自分の子どもに「なんでネズミさんを殺したりするの?」と聞かれたときに、どう答えたらいいのかと日々自問します。
id:kensuke_nakataさんの日記で、「生物を金を払って買うというのはどうも気が進まない」というのを読みました。私もペットショップがどうしても好きになれません。犬も猫も好きですし、ペットを家族の一員として接している人が周りにもたくさんいます。けれどもやっぱり割り切れない気持ちが残るのです。
人間と動物(といっても本当は人間も動物なのに)の関係って、どうあるべきなんでしょう。仏教では、他の動物を殺して食べることの罪を認めた上で、無益な殺生は避けるべきだ、という考え方があったように思います(ツッコミよろしくお願いします)。では、動物の交通事故は?保健所の野犬は?動物実験は?自分の中で自分なりの答えを出さないといけないとは思うのですが、苦悩してしまいます。